2009年1月31日土曜日

へんでも へたでも へいきです

小さい頃、家に「だるまちゃんかるた」というのがあって、
これはその中の一枚です。

「しまった しおだ しくじった」とか
「ひがしに ひかり ひがのぼる」とか
4音 3音 5音の言葉の頭が全部同じ音で、
二つ目のかるたを買ってもらうまでは
それがかるたのルールなのかと思っていました。

ちなみに、太陽が昇ったり沈んだりする方角が
とっさに分からなくなると、
いまだにかるたで思い出します。

そして北を上にしたときに
東西のどっちが右でどっちが左かを忘れると、
東(3音)+右(2音)=5
西(2音)+左(3音)=5
という方法で思い出します。

さらに、東西のどっちがイーストでどっちがウェストか忘れると、
「ウェストウィン」という言葉を思い出します。
小学生のときに近所の西友で買ってもらった服に
WEST WINというだっさいブランド名のタグが付いていて、
だから、西がウェストです。
なので東はイーストです。
イーストを思い出すのは時間がかかります。

方法に頼り切っていたせいか、
「理由とかじゃなくてそういうもの!」と結びつける能力が育たず、
かえって時間がかかります。

そんな話はどうでもよくて。

変なのも下手なのも、
それがプラスの価値だというわけではないのですが
(「へたうま」とか言われてるものって、何か腹が立ちます)、
正しくて上手なものを作りたいわけではないなぁと思っていて、
それでこのかるたを思い出したんでした。

2009年1月30日金曜日

お便り

『家族アート』原作者の伊藤比呂美さんから、
上演していいですよとお返事をいただいた!
というわけで、鳥公園の2回目は伊藤比呂美さんの『家族アート』をやります!

1回目をやったのが去年の3月で、
終わった直後からたくさんの反省・思うことがあり、
その反省の中でかなり大きかったのが
台本の西尾の言葉が強すぎたなぁということでした。

作と演出を兼ねることに、疑問があります。
それが必ずしも悪いと思っているわけではなく、
ただ、兼ねることが当たり前になっているのはおかしいような気がします。
自分で書いて自分で演出すると、
台本の言葉を外部のものとして咀嚼することなく
「んー何かこういう感じよ」てな感じでやれてしまう危険性がある気がします。
で、そうすると、作・演出が「正解」になってしまうんじゃないかと思います。
(他人が書いたものでは到達しえない深い理解(理解?)が
 可能である(本当か?)とか、
 分からないので適当を書いてますが、
 何かしらそのやり方の良さもあるのかもしれんとは思うのですが)

作と演出を兼ねている方がみんなそうだというわけでは決してなく、
私が、少なくとも前回は作と演出を分離できなかったので、
次にやるときは誰か他の人由来の言葉から始めようと思っていました。

で、伊藤さんの『家族アート』です。

この作品は、戯曲ではありません。
ジャンル分けに大した意味があるとは思いませんが、
小説と呼ぶのが一番イメージしやすいと思います。

独立して成立している他人の作品を、私がやることに意味があるのか?と考えます。
『家族アート』をそのままやっても
(まぁ「そのままやる」なんて、出来るわけないのですが)、
意味はないだろうと思います。
できそこないになるしか道がない再現には興味がありません。

方法があるとしたら、
「わたしたちは『家族アート』とどう格闘したか」
だと思います。

(ただ実際は、そんな汗臭そうな名前の作品じゃお客さんは来てくれなさそうなので、そうしませんが。
 心構えはそんな感じです)

戦った結果、
もしかしたら原作の要素はほとんど見えなくなってしまうか、
あるいは原作に非常に忠実であるように見える可能性もあると思っています。

いずれにせよ、
要素に細分化された時点でそれはもう元の作品とは全く別物で、
それを上手いつなげ方をすることには価値がないと思います。
全体性をいかに大切にしていけるかということを考えています。

けれど、

いやちょっとちょっと。
「で、伊藤さんの『家族アート』です」って、
その「で、」がおかしい、
まずなんで『家族アート』なのよ?と言われると、

ぐ、となります。

好き、だから、、と、
内心では強く「でも、それだけじゃないんだけど!!」と思いながらも、
それ以外の言葉を確信を持って言えません。

『家族アート』をやりたいとぼんやりと思ってから10か月。
なぜやるのか、やりたいのかの答えが出なかったので、
「やらせてください」というお便りを伊藤さんに出すことが出来ませんでした。

結局今もまだ答えは出ていなくて、
でも、「分っかんないけどこりゃやっぱり一度取り組んでみるしかないような気がする。」と思ったので、
お便りを出してしまいました。

一晩うにゃうにゃ考えて書いた長ったらしいお便りに、
伊藤さんは軽やかなOKのお返事をくださいました。
ひゃっほう!と少し躍りました。

そういうわけで、やります、『家族アート』。
伊藤さんの作品に寄りかかったり同化しようとしたりするのではなく、
自立して向き合うための他者として、尊重したいという思いです。