2009年5月20日水曜日

サロメ

「サロメ」を読んで、取り返しのつかなさについて考えました。
取り返しのつかないことというのは大抵、
その人にとってのみ、
取り返しのつかないことであると思います。
周りの人からしたら、
いくらでも替えのきくことに見えるんじゃないかと思います。

サロメはヨカナーンが思い通りにならなかったので
彼を殺してしまい、
私なんかは
やー何も殺さなくても!
と思うわけですが、

だって殺しちまったらそれこそ取り返しがつかないよ、
そうしなければ他にいくらでもいい男と出会えたろうに!
と思うわけですが、

サロメにとっては
出会う→好きになる→手に入らない→殺す
が一つ一つバラバラの工程ではなく一体化していたんだろうな、と。
だから、殺す手前で踏みとどまるなんて選択肢はなく、
ひたすら「あぁなんで出会っちゃったのだ!」
というところを苦しむんだろうな、と思いました。

そういう本人にもどうしようもないこと
(というか周りにとっては他にいくらでもやりようがあるように見えるので、
 本人だけがどうしようもないと思っていること。
 しかし本人がどうしようもないと思っている以上、
 実際どうにもなりえないんであろうこと)
って思い込みなんじゃないのと思うのですが、
そこまで強く人に思い込ませてしまう理由、状況に
興味があります。

そして願わくば私もそれが欲しい。

自分にとって取り返しのつかないこととは何だろうか
と考えると、
裏切られることだと思います。
大抵のことはまぁ許せる、
もしくは許そうと努力できると思うのですが、
裏切られたと感じたら、
きっと私は許そうとする努力を一切やめて、
関心を断とうとするんじゃないかと思います。

でもそうして、
「許せない」がだんだん「どうでもいい」に変わっていくのです。
取り返しのつかないことだったはずが、
何かもうどうでもよくなっていきます。

私は全てがどうでもよくなることがとても恐ろしいです。
どうすれば関心を持ち続けられるのか、
どうすれば変わり得る希望を持ち続けられるのか、
ということを考えています。

2009年5月3日日曜日

MSA2009総括シンポジウム

先日の「家族アート」、実はMSA2009というフェスティバルの参加作品だったのですが、
(え、祭的空気とか皆無だったよね!という声多数で、
 どうもアナウンス不足だったようですが)
その総括シンポジウムがもうすぐあります。

参加団体9つの代表者がパネリストになって、
「あなたんとこの作品はあーだったねこーだったね」と
ディスカッションする会です。

私ども実は、本番までの半年弱、
月に1〜3回くらいずつ集まって
「私はなぜ舞台作品をつくるのか」を話し合っていました。

「それってやる意味ありますの?」とか、
「雰囲気で喋ってないですか?」とか、
みんな歯に衣着せぬ物言い過ぎて、うー正直しんどい…というときもありましたが、
後から振り返ってみると有意義な時間だったなぁと思います。

その一応の締めくくりの、総括シンポジウムです。

�作品をつくるに当たっての主義(思想?理想?)があって、
�実際につくる場面での手段の選択があって、
�表象として作品が出てくるわけですが、
�と��は多かれ少なかれ隔たっていて、
その隔たりについて突っ込み合う会になるのだろうという気がします。

普通、話されるのは�の良し悪しだけだと思いますが、
�と��の隔たりについて意見をもらい、
そこに自覚的になることは、
作り手にとって非常に具体的で建設的な作業である気がします。

正直に真剣に話します。
よろしければ、ご来場ください。


MSA2009総括シンポジウム

【日時】
5月11日(月)19:30〜

【場所】
神楽坂die pratzeにて

【入場料】
MSA2009のチケットの半券があれば入場無料。
なければ500円。