どうも私には「ダイアローグを書かなければ!」という強迫観念があるかもしれない。
たぶん、モノローグとダイアローグを別のものと考え(過ぎ)ています。(いました。)
舞台上でひとりごとのように呟かれていても、それは必ず誰かに向けられている。
モノローグは、
1.客席に向けられている
2.何かしら意図的に1人で言葉を発してみている
3.真実真正の思わず出てしまった(という設定の)ひとりごと
の三種類しかあり得ないんじゃないか。
と思うけど実際は、3はほとんどなくて、2もあまりなくて、「〈ひとりごと〉ということにして発される説明的モノローグ」という4番目が結構あると思う。
それをやる場合は、正面切って客席に話しかけてはいないけど実は客席に話しかけてまーすという、実は1番目に当たる意識がないと、何というか、不誠実な気がする。
「○○ってこと」にして処理されてしまい得る演劇の都合(よく言われる例だと、「暗幕とその向こう側は存在しないこととする」みたいなこと)には、甘んじたらいかんなぁと思う。
仲間内で盲目になりましょーというのは、外から見たら「??」だろう。
目はかっぽじって(って耳にしか使いませんか?)見たい。
話があちゃこちゃ行きますが、
そうそう、「ダイアローグ」なんてものはないんじゃないかと思ったのです。
話しかける時点では、返事や反応が返ってくるかなんて分からないので、発語される時点ではひたすらモノローグがあるだけで、反応が返ってきたときに「結果的ダイアローグ」になるだけなんじゃないかと。
だから、一般的にダイアローグと呼ばれるものも、実はモノローグの応酬と捉える方が正確なんじゃないかと。
定義の仕方なんてどーでもよいではないかと思われるかもしれませんが、台本書き〜稽古までの作業に関して、どの段階までを作家が、どの段階からは演出家がやるべきか?というのはとても重要な気がしています。
これは、上手い作家なら難なくやってのけるのかもしれませんが、台本をダイアローグの形にするのが苦手で。
なので、各人に渡すモノローグを書いていって、それをルール(?)に稽古場で会話してもらえばいいんじゃないかという作戦です。
複数人がモノローグをすれば、ダイアローグには結果的になるんじゃないか。
上手くいくか分かりませんが、明日はこれでいきます。
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