2011年1月19日水曜日

演出ノート8

死骸になりたさ、について。

抜けがけはナシよと思っている。
死んでイチ抜けはナシだ。
それは、大ブーイング。

でも一方で、自分の死後(直後)について妄想する。

死骸になりたい。
遺体でも死体でもなく、死骸である。

遺体は生前の事情を引きずり過ぎている。
遺体に向けられる尊重は、故人の生前の立派さ、功績に負うている気がする。

死体は土気色すぎる気がする。
単純に物質的に、質の落ちた肉のように思う。

死骸が一番、生きていた私が死んだだけ、それだけという気がする。
死骸の私は私のまま、一段とばしで大事にしてもらえる。
貧血起こした子が日陰で体育見学させてもらえるように。

でも幸い、残念ながら、私は血が多めにできているようで。
貧血なんてついぞ起こしたためしがないのです。

そして私は、女の人が怖い。
男の人より万倍怖い。
だからやっぱり、貧血とか起こせないのである。

つまりヘモグロビン以前に根性的な問題で、やはり死骸になるしか手はないか、とか、考える。

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